2014-04-03 第186回国会 参議院 外交防衛委員会 第8号
総連中央会館について言うならば、会館が建った歴史背景、政治的環境、そしてその地位と役割を考えると、我が同胞たちの事業と生活の拠点であり、朝日両国に外交関係がない中で実質的に外交代表部の役割を果たしているということを考慮し、いかなる場合でも絶対に総連中央会館が強制売却されることはあり得ないという点について立場を表明したと。
総連中央会館について言うならば、会館が建った歴史背景、政治的環境、そしてその地位と役割を考えると、我が同胞たちの事業と生活の拠点であり、朝日両国に外交関係がない中で実質的に外交代表部の役割を果たしているということを考慮し、いかなる場合でも絶対に総連中央会館が強制売却されることはあり得ないという点について立場を表明したと。
民主党を始め、与野党の有力人士と国会議員との人脈を再構築することに主力を置きながら、彼らを親朝勢力に組み込むこと、高等学校授業料無償化の施策が在日同胞たちにも必ず適用されるようにその上で運動していけ、衆参文部科学委員会所属の委員と日教組出身の国会議員を対象化(二十名以上)して、十月に集中的に要請運動を遂行する、高校無償化の施策適用のいかんを把握することに基づいて、十一月に文部科学省と与党の国会議員に
日本の人道、社会的な問題に当たっておられる参議院の皆様方にお話しできたことは、ここに暮らす同胞たちにとって希望の未来を見せてくれます。日本で成長する日系人たちは日本のために働くだろうと私たちは信じています、日本人がブラジルのために働いたのと同じように。 どうもありがとうございました。
私がこのような生活を過ごしている間においても、私の親族、あるいは私の同胞たちが、同じような自分の思想を述べること、あるいは自分の信条をかたく信ずる、守ることを罪として、無法に投獄され、あるいは命さえ奪われていることを考えてみますと、この国の自由度、あるいはその民主主義の定着していることについて、大変幸せだ、これはすべてこの憲法のおかげだと、私はそれなりにこの憲法を評価したいと思っております。
そこでは韓国側の議員と毎回激しい議論をするわけでございますが、民主主義社会の中にあって最も根本的なものは参政権である、このような重い歴史を持った、長年日本に住む同胞たちにその一番大事な根底の地方選挙権はせめて早く付与してやってほしい、こういう韓国側の議員の熱心な議論も聞くにつけ、私はこれを本当に成立をさせたい、こういうふうな思いでおりますし、私は途中で投げ出すことは絶対しない、こんな決意もしているわけでございます
また、その数時間後でございますが、また日本時間で言えば十二日の午前一時、モハメッド・バシャール・アル・ファイディと呼ばれますイスラム法学者協会のスポークスマン、この方が出演されて、イスラム法学者協会としては依然として日本人の人質を取っている同胞たちに対して呼び掛けを継続しており、彼らが約束を守ることを呼び掛けたい、人質が解放されることを希望していると、こういうことを話されました。
そういう同胞たちがせっかく祖国に帰り着いてこういう処遇を受けているということに対して、私も小学校五年のときに新京で終戦を迎えただけに、人ごとと思えないんですよね。こういうところに、日本人の心の温かさというのが、温かさが欠けてきていると。政治というのは、基本的にやっぱりそういう弱い立場の人たちに対する思いやりがなければ私は成立しないと思うんですね。
女優、藤原紀香さんは同胞たちを国債投資に駆り立てなければならない、こんなことになってしまったのは大変なことだと言って同情するような記事が載っているんですよ。 そこで、財務大臣にお伺いしたいんですが、藤原紀香さんを動員してまで宣伝しないと、この資料(1)に戻りますけれども、風船が上に上がらないような状態で国債をマネージしなくてはいけなくなっているこの状況について率直な印象をお伺いしたいんですが。
第二次世界大戦のときに、自衛権の名のもとに大陸に進出し、そして結果として三百万人強に上る我が同胞たちがとうとい命を失っているわけであります。 そうすると、自衛権の問題を余り積極的にとらえていくと、やはり昔の秩序の状況に戻っていってしまう。よく私たちが申し上げているとおり、自衛権、集団的自衛権も認めるけれども、しかしそれは抑制的に、自制的にとらえていかなくちゃいけない。
金大中大統領も、就任演説のときは何て言っておられたかというと、ここにありますけれども、海外の同胞たちは韓国系として安定と誇りを持つことができるよう私たちは積極的に支援しますと。
私は、これが戦後に極めて顕著な、戦前からあると思いますけれども、日本人の国民精神のやっぱり至らなさだと思いますが、先ほどの福沢諭吉を出すまでもなく、まともな人間でしたら、自分の中にいわば本音として、私心として死にたくないという気持ちがあるのならば、同時に本音としての公心としてやっぱり自分の子供なり孫なり同胞たちのために戦わざるを得ないときには戦うという本音の気持ちがあって、ところが問題はこの公心と私心
その母の涙、そして私自身が陸軍航空士官学校在校中、敗戦を旧満州で迎え、そこで見た同胞たちの悲惨な姿は、今も私の脳裏に焼きついて離れることはありません。 以来私は、二度と再びこの戦争の苦しみを味わってはならない、何があろうとも戦争は避けるべきだとの信念を持って政治に当たってまいりました。 振り返ってみれば、戦後日本の発展は目覚ましいものがあります。確かに、日本は経済的には豊かな国となりました。
これは、ともに被爆の経験を持ち、ともに長きにわたり病と闘いながら不安な日常生活を送り、または被爆者のための援護の充実のために行動し、そして二度とこのようなことが起きないようにと念じ続けてきた同胞たちの死亡に対し、ひとしく国家的関心の表明として給付を行うことになっています。
ちょっと重複になりますが、私どもの特別給付金は、現行の特別措置法が制定された昭和四十四年以前に亡くなられた方につき葬祭を行う者一人に十万円を支給しようとするものであり、これはともに被爆の経験を持ち、ともに長きにわたり病と闘いながら不安な日常生活を送り、また被爆者の援護の充実のために行動し、そして二度とこのようなことが起きないようにと念じ続けてきた同胞たちの死亡に対し、ひとしく国家的関心の表明として給付
これは、ともに被爆の経験を持ち、ともに長きにわたり病と闘いながら不安な日常生活を送り、または被爆者のための援護の充実のために行動をし、そして二度とこのようなことが起きないようにと念じ続けてまいりました同胞たちの死亡に対して国家的関心の表明として給付が行われることは、高齢化しつつ今日なお被爆の影響や死に対する不安と闘いながら日常生活を送っておられる被爆者にとりまして、何よりも心安らぐ処置と言えるのであります
そんなことで、政府に対してシベリア抑留の補償要求をされておられる全抑協の方々と何回かお話をする機会があるのでございますけれども、その際に、私が大変感銘をし、また感心をするのは、シベリア抑留の体験者それぞれの方々は、みずからが筆舌に尽くしがたいような苦労をされたにもかかわらず、自分たちのことよりもまず先に、あの極寒の地で亡くなられた戦友たちあるいは同胞たちのことをいつも話すということなのであります。
この事実を知った両親は「自分の子が罪人扱いされた」と憤がいし、同胞たちと連れだって久米川駅前派出所に抗議した。 同派出所では、東村山警察署の巡査部長が出てきて「その警官は交代で帰って、るすだ。明日の午後三時以降にでてくる」といったため、両親と同胞たちはその翌日の午後四時に再び出向いた。しかし同派出所では前日と同じ返答がかえってくるのみで誠意ある回答が、得られなかった。
また終戦愴惶の際に市内外各所に假埋葬されたものも数多く、ことに東・西・北部より南下した同胞たちの集結地点であった哈爾濱には夥しい遺骸が数えられたのであります。 想うに墓参のための訪問旅行は、國家間交渉の錯雑の中にあっては簡單に実現するものでないことは夙に承知いたしておりますが、凡ゆる懸案を超越して人道上の問題として最優先に解決さる可きことかと思われます。
その不幸を埋めてあげる、子供を公平に愛するという原則、その意味において、われわれは沖繩の同胞たちにより大きな負担をかけただけに、より大きな報いをしてあげなければならぬと思うのです。その意味における教育を、今後五年間に追いつく、こういう御計画のようですが、五年後に追いつくというのは、設備において本土並みに完全に持っていく、その予算は一体どれだけあるのか、お答えを願いたいと思います。
したがって、私たちがいま一番問題にしているのは、なぜ、あの復帰の原点に返って、血の叫びを流した幾万のあのなき同胞たち——受け継がれて、この沖繩の大地は再び戦場となることを拒否する、基地となることを拒否する、基地もない、アメリカ軍もいない、自衛隊もいない、初めて平和な豊かなという、平和ということばが使えるんだということを、からだをもって体験している沖繩県民である。